キリマンジャロ・チャレンジ2013 ご報告

[vc_row][vc_column][vc_gallery interval=”3″ images=”11037,11046,11045,11044,11043,11042,11041,11040,11039,11038″ img_size=”full”][/vc_column][/vc_row][vc_row][vc_column][vc_column_text]本年(2013年)4月25日の日本記者クラブにて発表しました、「キリマンジャロ・チャレンジ2013」は、参加希望の企業不足の為、NPO法人の活動PRを目的として、専務理事 水野達男が個人的に チャレンジする形式で実施されました。
9月14日に、キリマンジャロ麓のモシ市にあるマラング村のロッジに 日本から参加された他のパーティ-(部隊)の方々13名と同行する形で参加し、見事に9月19日、午前7:12に、マラングルート、ギルマンズ・ポイントに制覇。その後、無事、翌日(20日)夕刻に、マラング・ゲートに下山いたしました。 
さらに、その後も 当初計画通り、キリマンジャロの麓のもうひとつの町、アルーシャにある、住友化学のマラリア蚊帳の工場(従業員:7000名)の工場を訪問。工場見学、NPO法人の企画「1LIKE for 1 LIFE]キャンペーンでの蚊帳の授与式、加えて、モシ市にある”USA River村の診療所でのマラリア減少の現地調査、最後にその近くの村に 前述キャンペーンの一部として実際に、AtoZ社から送られた蚊帳を(500張)配布して参りました。 
ここでは、キリマンジャロ登頂 チャレンジに絞って、専務理事(水野達男)の個人報告をさせていただきます。
現地での写真を数枚、そして6日間の登頂記録を披露させていただきました。 ご覧下さい。
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1日目(9月15日:マラング・ゲートから入山)
 標高1800mにあるマラング・ゲット(入山口)から総勢14名の部隊で正午に登山を開始した。 
 その日の道のりは、全長約12Kmを約4時間かけて、標高2727mにあるマンダラ・ハットまで徒歩。道中は、ゆるやかな上り道。 樹林帯、天候にも恵まれ、さらに紫外線が強い中でも、樹林帯ということで特に、強い日差しも受けることなく山小屋には、夕刻4時半には到着。顔を洗って、温かい服装に着替え、仲間とお茶とポップコーンで夕食前の一服。 夕食は、ポテトスープ、テラピアの唐揚げ、ナポリタンのスパゲテイー。 スープが美味しい。空には、満天の星。 何度もアフリカで沢山の星が見える経験をしましたが、やはり、
キリマンジャロ 標高約3000mでの星は、格別。 山小屋は、ややすき間風が入る環境で、もちろん吐く息も白く、さすが、夜は冬物シャラフでも少し寒かった。 8:00に就眠。 アフリカ、キリマンジャロの夜は長い。
2日目(9月16日:マンダラ・ハットからホロンボ・ハットへ)
 この日は、朝6:00起き、7:00朝食、8:00出発。 約8時間の登山、全長は、12Km、ここも緩やかな上り道。周りは、草原帯で、ひたすら一歩ずつ、標高3720m(つまり、高度差1000m)のホロンボ・ハットの山小屋へ。ガイド、リーダーの説明では、この日は、最も、”高山病”の危ない時期とのこと。そう言えば、この高さは、日本では、富士山とほぼ同じ高さである。 この日も、合計水(湯含めて)約2.5Lを道中、そして食事の際に摂取。 この日から、ダイアモックスという高山病予防(治療も可)の市販薬を摂取。ホロンボ・ハットの山小屋への到着は、16:30。今日は、大部屋ではなく、4人の山小屋へ、アメリカから来た男女のカップルと同室。夕食は、お粥、鳥の唐揚げ、野菜のあんかけ、いすれも美味しい。 中でも、お粥にふりかけ、シバ漬けは、たまらん。 一方、この日も、山小屋には、すき間風。もちろん、暖房器具はない、3700mの高地はさすがに寒く、冬物のシュラフの中も、暖かい羽毛のジャンパーで就眠。
(ここで、14名の仲間の一人が、高山病で、ダウン。自分にも、不安がよぎる。高山病になると無口、食欲がなく、おまけに嘔吐と頭痛・・・これは大変そう。: 無理は禁物! 仲間にも、不安がよぎる。)
3日目(9月17日:標高4200mまでのハイキング)
 この日の目的は、マウエンジ峰方面、ゼブラロック往復のトレッキングだけで、各自 高所順応すること。
お陰様で、体調は、良好。このままなら、なんとか、なりそうだという気持ちにはなったものの、残りまださらに標高差2000mあると考えると、やはり不安は過ぎる。「まあ、出たとこ勝負だ!」とやや開き直り。
トレッキング中は、時間にも、気持ちにも余裕があり、仲間や現地で出会った外国からの友人を交えて、今回の最大の目的である、Malaria No More Japan(NPO法人)のフラッグを皆に持ってもらって、記念撮影。 やっぱり、登頂出来なかった時のための押さえ(?)の撮影、どこか弱気な自分も 確実におりました(笑い)。
この日は、リーダーの計らいで、日本から持参したラーメン「出前一丁」が夕飯に出て、”美味かった!
後で解ったことだが、この日の「高所順応」は、とても大切な要素、自分の体と会話する時間でした。
4日目(9月18日:最高峰の山小屋 標高4703mのキボ:ハットまで)
 この日も、朝6:00起床、7:00朝食、そして8:00出発。ここもなだらかな上り道、標高差約1000mを歩行距離10Km、砂礫帯をゆっくり、ゆっくり高山病に気をつけながら、キボ峰直下の山子屋キボ・ハットまでを7時間で歩く。 夕刻15:00には山小屋着。 この日は、夕刻の17時夕食で、19時には、就眠。 夕食は、食べやすいものをとの配慮で、何と、「カレーライス」、さすがにオカワリはしなかったがこれまた、美味しかった。つまり、この頃までは、体調もすこぶる良かったし、会話も弾んでいた。
一方、この日は、夜半(1:00時)出発の為、約3-4時間の仮眠のみ。 ・・・翌日の冬山、夜間登山のことを考えたり、高山病の不安も相まって、実は、余り眠られなかった。
5日目:9月19日、いよいよ登頂を目指す日です。
 夜中、0:00に起床(ほとんど眠れていない)。色んな事(期待、不安、体調、仲間、etc)が頭をよぎる。
そして、01:00にキボ・ハットを出発、6時間で、5685mのギルマンズ・ポイントを目指す。この後、体調が良く・条件が許せば、5895mのウルフピークを約2時間半で往復。登頂後は、一気に3702mのホロンボ・ハットまで、合計12時間、標高差(1000m登山+2000下山)延3000m、全長27Kmを歩く計画。 最も過酷な1日である。
いざ、・・・頂上間際の5600m付近で、疲れと高山病からくる息切れ(下界の60%しか酸素がない)で、自分としては、いっぱい、いっぱいという感じになった。その頃には、仲間の内、もう1人が、高山病の為 登頂を断念。体力、不安はピークに。 ただ、ここで諦めるわけにはいかない。という気持ちと安全に帰らないといけないという気持ちが葛藤。・・しばらく、その時点で急ぐ気持ちを抑え(スワヒリ語で、ポレポレ:ゆっくり、ゆっくり)、深呼吸を繰り返し、繰り返し・・・でも、なかなか思うように深呼吸すらできない。「焦らず」、ゆっくり体調と心の準備をして、ただ、ただ、少しずつ小さく一歩、一歩前へ。その後は、余り前を観ず、ただ、小さく一歩、一歩前へ。・・・すると、気がついたら、ギルマンズ・ポイントのすぐ手前まで来ている自分を気づく。 これこそが、厳しい登山の極意か? ”やれる!”っと、ばかりにギルマンズ・ポイントを制覇。 小さくガッツポーズ! 朝、7;12の出来事でした。
その後は、さすがに、ウフルピークまでの往復2時間半は、自分には荷が重いと判断。 ピークへの登頂は諦めました。まだ、残り(下山)の時間(8時間)と距離(20Km)を考えると「勇気ある撤退」と自分を納得させる。 ギルマンズ・ポイントでの貴重な写真撮影を終えて、早速 下山。5700m付近に長居は禁物らしく、急かせるように現地ガイドが下山を促す。 上りに6時間かかったところを、ほぼ、1時間半で キボ・ハットの山小屋まで、下山しました。 その日は、昼、夕食とも、全く食べられず、・・もちろん、これが、高山病の典型的な症状。リーダーと仲間からもらったシバ漬けとたまごスープだけはなんとか喉をとおり、胃袋に到着。どんなものでも、エネルギーになるものを腹に入れること、確実に水分を摂取することも、その後の高山病回復と下山の為に必要なことのようでした。 その日は、3702mのホロンボ・ハットで、夜7:00に就眠。 さすがに 爆睡。 よく眠れた。
6日目(9月20日:3702mから、一気に1800mのマラング・ゲートまで)
この日も、6:00起床、7:00朝食、そして8:00出発。 お陰様で、よく寝れたこともあるし、3702mで比較的空気も濃くなっていたせいか、すっかり朝には、高山病の症状は消えていました。朝から、出されたお粥を2皿いただき、味噌汁、フリカケ、そしてシバ漬け・・・これも、美味かったなぁ! 生き返りました。
この日は、下山でもあるし、体調も良くなっており、標高差2000mでしたが、夕刻4:00には、マラング・ゲート着。登山終了。 
そこでは、3大ポイントのいずれかまで、達成した人には、正式な登山証明書「Certificate」が渡される。自分もゲット。そして、この6日間、陰になり、日当になってサポートしてくれたガイド、リーダーそして、シェルバーの皆さんと一緒に記念撮影、さらに、彼らが歌ってくれるキリマンジャロの歌を背に、専用車で、もう一つの麓の町「アルーシャ」まで移動した。
以上。 素晴らしい、欠けがいのない経験をさせていただきました。 仲間の皆さん、現地のガイド、シェルパーの皆さん、本当に ありがとう![/vc_column_text][/vc_column][/vc_row]